2020年の今年、ソロデビュー10周年を迎えた星野源さん。
現在は俳優、歌手、文筆家として、幅広く活動されており、数多くのドラマやCM、バラエティー番組にひっぱりだこな星野源さん。
順風満帆に見える星野源さんですが、デビューしてから現在まで、彼が歩んできた人生は順風満帆とは言えないものでした。
今回は星野源さんのソロデビューから現在まで、彼の歩んだ10年の人生の軌跡を、作品を紹介しながら辿っていきたいと思います。
星野源と音楽との出会い

ここからは、星野源さんの音楽との出会いを簡単にご紹介します。
幼少期から音楽は身近な存在

星野源さんは、埼玉県で星野家の長男として誕生しました。
今は閉店してしていますが、星野源さんのご両親は以前『signal』という名前のジャズバーを経営していました。
ジャズ好きのご両親を持つ星野源さん。
お父さんは昔ジャズピアニストとしてプロを目指したことがあり、お母さんもジャズ・ボーカリストを目指していたということで、家にはジャズのレコードが沢山あったようです。
また、子供の頃は、お皿やちゃぶ台をドラムを叩くかのように叩いていたため、ドラム教室に通わされていたことがあったそう。
小さい頃からジャズやドラムを通して常に音楽と触れ合う環境にいた星野源さんが音楽業界を目指そうと思ったのは、自然なことですよね。
音楽に興味を持った学生時代

『すべての生徒が人間らしい人間として成長を促すことを目指す教育』を掲げ、自立した自由と、しっかりとした意志を育てることを理念としている自由の森学園中学校、高校を卒業しています。
自由な精神を重んじる森学園中学校に在籍中にギターに興味を持つようになりました。
5人組バンドSAKEROCKの結成

その後、同じ高校出身の仲間たちの5人で2000年にSAKEROCKという名でインストゥルメンタルバンドを結成し、音楽活動をスタートさせることになります。
星野源さんの音楽の原点であり、素敵な仲間と独自の音楽を作り上げていったんですね。
SAKEROCKはどんなバンド?

SAKEROCKの音楽はジャンルは決まっておらず、曲は複雑でタイトなリズムで構成されています。
それでいて、不思議とリラックスさせてくれる雰囲気の音楽が魅力となり、多くの人を惹きつけています。
SAKEROCKで星野源さんはギターとマリンバを担当していました。
2002年3月に自主制作で『YUTA』を制作し、下北沢のノアルイズ・レコードに、音源を持ち込んだことがきっかけで、全国流通するようになりました。
解散するまでは、ドラマやバラエティ番組のオープニングやBGMで彼らの曲が多く使用されていたとのこと。
解散の理由

通常、解散と聞けば、不仲説などが飛び交うものですが、SAKEROCKの解散は、音楽業界でも珍しい円満で理想的な解散だったようです。
2015年までに田中馨さんと野村卓史さんの2人が脱退し、SAKEROKEのメンバーは、星野源さん、浜野謙太さん、伊藤大地さんの3人となりましたが、全員がそれぞれに売れ始め、お互いのスケジュールを合わせるのが物理的に難しくなっていきました。
その中で、『SAKEROCKとしてやりたい理由、活動する意味』がわからなくなってしまったことをきっかけに、きっぱりと解散する決意をしたのですね。
最後にもう1度、全員で

残念ながらSAKEROCKは15年の活動に終止符を打つことに決めましたが、この決断をした時に、初期の自分たちを思い出し、解散するからこそできることがあるのではないか。
そんな風にポジティブな考えを持つことができ、脱退した2人を呼び、オリジナルメンバーで最後のアルバムを作成することになりました。
SAKEROKEは本当に仲が良かったのですね。
「5人で何かに挑んでいくのではなく、5人で最後にもう一度、全員で楽しく演奏する。」
最後にSAKEROKEとして、『やりたいこと』が見つかったのですね。
そうして、SAKEROKEのファーストアルバムのような、ラストアルバム『SAYONARA』が完成しました。
愛され続けるSAKEROKE

惜しまれつつも、解散することになってしまったSAKEROKEですが、解散した今でも、多くの人がYoutubeで彼らの音楽を聴き続けています。
人の心を捉えて離さないようなバンドであることがよく分かりますね。
星野源ソロデビューのきっかけ

長い間、SAKEROCKの一員として活動していた星野源さん。
そんなある日、星野源さんの人生を変える出会いがありました。
運命の出会い

それは、彼のアーティストとしての才能見つけだしてくれた、音楽家であり、俳優として活躍していた細野晴臣さんとの出会いです。
ある日突然、細野晴臣さんから「ソロで活動してみたら?」
そんな風に声をかけてもらった星野源さん。
タイミングが良かったことと、30歳を目前にし、20代のうちにやりたいことをやっておかなければ、二度と出来ないかもしれない。
そんな思いから、思い切ってソロアーティストとしても歌手活動を開始する決心をしました。
細野晴臣さんの一言が、星野源さんのソロデビューのきっかけとなったのですね。
シンガーソングライター星野源のデビュー作と成長

ついにソロデビューすることとなった星野源さん。
ここからは、ソロデビュー作品とアーティストとしての活動についてご紹介します。
2010年にアーティストソロデビュー

長くSAKEROCKのメンバーとして活動していた星野源さんですが、2010年に細野晴臣さんが主宰を務める音楽レーベル『デイジーワールド・ディスク』にて、1stアルバム『ばかのうた』でソロデビューをはたします。
同年12月には、ソロとしてリリースしたアルバム『YELLOW DANCER』でオリコン週間アルバムランキング1位を獲得。
そして、2010年CDショップ大賞も受賞しています。
2019年には初のワールドツアー

そして、2019年には初となるワールドツアー『星野源 POP VIRUS World Tour』を開催しました。
11月23日の上海公演を皮切りに、ニューヨーク、横浜、台北の4都市で5公演を開催し、日本だけではなく、世界でも活躍するアーティストにまで成長したのですね。
ソロデビュー10周年

シンガーソングライターとして、10周年を迎えた星野源さん。
順風満帆に歩んできた10年のように見えますが、星野源さんは、実は沢山の困難にも直面してきました。
人生観を変える出来事

沢山の舞台、ドラマに出演し、アーティストとしてもコンサートを行うなど、しっかり足場を固めていった星野源さん。
そんな2012年のある日、アルバムレコーディングの終盤戦のスタジオの中で、激しい頭痛に襲われ倒れこみ、緊急手術をうけることになりました。
診断結果は、くも膜下出血。
一旦は復帰したものの、半年後に再発し、再手術を余儀なくされるなど、この10年の間に私たちの想像を絶する体験も乗り越えてきたんですね。
暗めの曲調から明るい音楽に

くも膜下出血という体験した後の星野源の作る曲は、選ばれる言葉や音楽的な要素も、暗いものから、晴れ渡るような明るいものに変わっていきました。
それは、命の大切さを知る体験をしたことで、これからは楽しく生きていこう。
そんな風に、エゴから解き放たれ、生き方を変えてくれる出来事だったのだそうです。
前だけを見て歩いた軌跡

様々な経験を経て、2016年に星野源さんは大ブレイクします。
星野源さん自らが主演を努めた『逃げるは恥だが役に立つ』がお茶の間で大人気になり、一気に星野源さんの存在が世間に広まったのは、記憶に新しいと思います。
星野源さんが歌う主題歌、『恋』も『恋ダンス』と呼ばれて結婚式の余興にも使われるほど、人気になりましたよね。
まとめ

デビュー前に所属していたバンドSAKEROCKの解散理由と、ソロデビューのきっかけを与えてくれた細野晴臣さんのお話を交えながら、ソロデビュー10周年を迎えた星野源さんの10年の歩みを簡単にご説明しました。
これからも私たちに素敵な音楽を届けてくれることでしょう。
今後も星野源さんの活躍をみんなであたたかく見守っていきましょう!
